Home > 戯言

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Tags:
  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

FMにはまっていく訳


FMとD300を使っているとわかることがある。ファインダーを通して感じることは、50mmは50mmという事。
D300はAPS-Cフォーマットなので焦点距離が1.5倍"相当"だけれども、焦点距離というのはレンズ固有のもので変わらない。変わるのは画角だ。
で、思うのはAPS-C機で焦点距離35mmのレンズをつかうと、ファインダーの見え方は35mmそのものなのだ。けっして50mmのレンズと同じように見えるわけではない。見える範囲は50mm相当だけどね。
ここらへん両方使わないとわからないだろうしややこしいと思うけれど、レンズを通して感じる遠近感が35mmと50mmは違うわけで、実際の見え方としては135フォーマットサイズのファインダーがトリミングされて2/3程度しか見えていないというのがより実態に近いと思う。実際にレンズのイメージサークルとCMOSの面積で考えてみればわかるかな。(DX専用レンズ除く、だけど)

見える範囲と見え方というのは別物なんだ。

見え方を重視して50mmをつければ狭く感じるし、見える範囲を重視して35mmを使えばちょっと遠く感じる。
ファインダーを写る範囲の確認窓としてしか認識しないのであれば十分だと思うし、APS-Cフォーマットを生み出した人は便利さという観点からすごいと思う。

が、世の中で重視されるのは便利さだけではないのだ。感覚という目に見えにくい普段無意識の感覚を意識して大切にしたいと俺は思う。

知覚と視覚の一致を求めて、FMに手が伸びる面もあるのだと思う。
D300はマシーン、FMは道具、だな。
スポンサーサイト
Tags: cat 35mmF2D 戯言

隙無し



しっかり見られてるな~(笑

35mmF2Dは相変わらずよく使ってる。風景から猫からブツ撮りから、なんでもいける万能さ。そもそも万能さと質は一般的には反比例関係であるけれども、それはあくまでも性能面での話。道具として使いなれてくればそれは別だ。35mmF2Dの一番いいところは、生の両目で見ている範囲と写真に写りこむ範囲がほとんど一致している点。
35mmで風景を撮るなんていうと広々した感じが写真に納まらないと思うのは、人間が首を振って脳内でいいところいいところを一枚に変換しているからであって、カメラが悪いわけではない。同一の瞬間において100度を超えるような範囲を印象深く見るなんて真似はできない。

自分の脳みそがその時々に何をしているのか、これを見極めなければ物欲に終わりは来ないし、何事においても前進はあるまい。写真という土俵上において話をするのであれば、どんなにレンズを揃えたって腕が変わらなければ写真に表れる印象は変わらない。それはモノのせいではなく、使い手の"目"の問題だと俺は思っている。
Tags: cat 戯言 35mmF2D

MAGNUM MAGNUM



ちょっと気になっていたので借りてみました。こういう時図書館は便利です。田舎の本屋じゃ置いてすらないですからね。ブツはこれです。

別に大上段に構えて写真ちゅぅものを斬る気はありません。けれど、写真って何が写っているんでしょ?
高名な写真家達による撮影&選択で、世間一般的にはよいといわれるのかもしれないですが、俺にはワカラン 何がどうよいのかがわからない方が多い。
写真から読み取り"たい"方向性が違えば全く理解できないと理解すればよいのかな。日本語しかワカラン俺に別の言語で話しかけてくるような感じか。
世相・世俗とか、世界の移り変わりとか、世の中の出来事とか、人間の深層心理とか、そういったものを写真から読み取ろうとして読み取らなければならないのは私には面倒。写真に記録的価値を見出しているのであれば、それは私には価値のないところですし、とか色々。

見た瞬間にスパーンと伝わってくる何かや、写真によって内面から湧き出る何かがなければ私にとってはタダの誰かが取った一枚の上手な写真でしかないです。何かココロに引っかかるところがあるかないか、ですかね。
今のところではElliott Erwittなんかは結構好きですね。過去に何度か写真も見てますが。あるものの中に別のものを見出すってのは私もよくあるところで、そんな柔軟性が感性にあうのでしょう。シンプルにわかりやすいのもいいのでしょう。
それと、写真にジャーナリズムを求めていないというのもあるのでしょう。使命感とかそういった類のものに突き動かされる写真には興味がわかないようです。なので、見ても特に感性が働くことない、と。
とはいいつつも、それすらを超越して伝わる写真と言うのがあるものまた事実ですので、それを否定するものではありません。

まぁ、こういう事を考えたアトに自分の写真を振り返ってみると、写真を写すための写真が多い事に気づいて(つまり、行為が目的になってしまっている)、オモロナイ写真が98%ナドと思ってしまいます。。。

せっかく興味を持って借りたのですし、もうしばらくこの写真集を眺めて見ます。

フィルムカメラ



これは980円のカメラ。手作りキットのピンホールカメラです。マックで小一時間かけて作るのを見てました。

今手元にカメラがないんですが、実は最近フィルムのカメラが欲しいのです。なんといいましょうか、デジタルって写真を撮れるまでのプロセスが非常に短いと感じているのですよね。
先日、写真はテケテケ歩いていっての過程を経て撮るもの的な間隔があると言いましたが、車でフラッとでかけてデジカメでバシャバシャと撮ってみても、いい写真って全然撮れてないのです。枚数がいくらでも撮れるがゆえにこれもあれもと欲張って、考えているつもりがそれは意識の上での表層的な考えでしかなくて、本当に五感と脳ミソを使ってないような感じがするのです。
別に、この季節に夜中の3時からテケテケと歩き出して写真を撮りに行くことをどうこう言うのではなくて、歩いてどこかにいく途中において、肌で自然を感じていき、感覚が研がれて行くのではないかと思って、その五感の研がれ方の差が必要なのじゃないかと。

じゃぁ、フィルムで違うのかと言われれば使ったことがないので明確な答えがあるわけではないのですが、少なくとも、12~36枚程度の有限の枚数を意識して撮るという点において、被写体に対したときの妥協が少ない気がするのですよね。

ま、すべて気分の問題です。FM-10でもほしいかなぁ。本当はF2とか、newFM2とかFM3Aあたりが欲しいのですが、中古価格で見てもビミョーですし、そもそもカメラに金かけすぎてますし。。。

写真



これはD40xを手にして2週間くらいのときに撮影した写真です。旧blogは6月からの写真しか載せていませんが、実はカメラを買ったのは2007/4/21です。ま、旧blogの6月の写真も、今撮れと言われれば撮れない気もします。。。あの紫陽花のみずみずしさを今撮れるだろうか、と考えると無理な気がしています。
なんだろう、被写体に対して当時の方が素直だったような印象を写真から受けます。特に最初の技術云々を考える前の頃と、その以後が違う気がするんですよねぇ。

この写真は結構気に入っていますが、最近では自分的に素直で狙っていない画が撮れてません。。。
ちなみに、載せるに当たって少し暗部をしめて彩度を落としました。レンズはキットの18-55mmでした。何よりも画がきれいに撮れるのが新鮮で新鮮で、何かいいもの撮れないかとウロウロとして、この配列がキレイに見える角度を考えてなんとか構図を決めた思い出があります。キレイに撮れるのが楽しくて仕方ないって状態ですね。(っても1年もたってないですが。。。)

で、いつもとちがうのはフォーマット四つ切の縦横比でだしてみました。なんとなく、四角に近いです。D300で撮れる画は3:2の比率ですが、結構一方に長いんですよね。
最初のころは、なんでフィルムの縦横比が3:2なのに、色々あるのと思っていましたが、中判、大判まで考えると色々なフォーマットがあるんだなぁ、と。けれど、135フォーマットでのファインダーはやはり3:2なので、出力する紙サイズを考えてから構図を考えないと駄目なんだろうな、と思います。

この写真をみたら、今までの写真の中でも3:2より5:4の方が落ち着きそうな画が結構あることに気づきました。おそらく、写真を撮るときにどういう範囲で画を見ていたか、が違うのだと思います。人間の視野からの意識範囲ってもしかしたら円なり正方形なりに近いんでしょうかね~?
Tags: 戯言

お昼寝



レンズを見る際にはダイタイ焦点距離と絞りの値が一つの基準になるかな。状況によっては最短撮影距離なんかも(あんまり関係ないと思っていたけれど、SIGMAの30mmを使っていたときは結構コレで撮れない事があった。35mmF2Dは大丈夫だけど。)。

けれど、SIGMAの30mmF1.4からNikkor35mmF2Dに変えた理由は写真から受ける雰囲気で、その雰囲気というのは色だったので、数字では見えない官能評価部分があるのだと思う。
まぁ、コーティングというものを考えてみると、1.レンズの保護、2.光の反射低減、3.色味というのがあるのだし、色味という部分を考えると各社同じメーカーの蒸着装置を使っていても蒸着物質の配合は各社ごと違うわけで(聞いた話だけど)、やっぱり好みってのはあるんだよね。ま、OEM生産もあるし、ブランドと色味が異なるレンズがある可能性はあるのかな。

焦点距離と絞りだけで見ればズームレンズだってF2.8までは同じ数字が出てくるワケだけれども、実際には色やコントラストや透明感、解像度、色収差、歪曲など色々あるし、そういう諸々が総合した印象の方が写真を見る上でのウエイトは大きい。そんなわけで、どのレンズにしようかと考えるのは数字だけでは難しいナ。絞りと焦点距離での選択は第一段階でしかないね。

で、どうやって決めるかというと、ネットでうろついたりカタログ見てニヤニヤして物欲の湧いたものを買うしかないのだろう。たとえそれがバイアスのかかった評価だとしても、満足度という使用上の官能評価部分はおろそかにできないし。

(家族の記録等の用途なら、色などよりも「よい表情・その瞬間」の方が大切だと思うので、ズーム方が目的に合致させ”易い”と思っており、否定するものではないのですけど、今のオレにゃぁ関係ない)

(レンズネタが続いてますが?、結婚式に出る予定があって、そこで使うものを考えてのブツブツなんです。)

85mmF1.4Dほしいにゃぁ~
(って、カメラ買ったばかりでキツインデスケド ヤッパリ1.8Dのほうだにゃ)



被写体との距離をとるときにレンズの焦点距離は重要です。ここら辺の距離を保ちつつこれくらいの感じで写したい、という所に合致するのが使いやすい焦点距離なのでしょう。
これはノーファインダーで撮影したものですが、被写体との距離と画における占有率の関係において、35mmは私の丁度よいところの様です。
50mmだと構えたときにいつも寄りすぎなんですよね。35mmの画角はやはり人間の感覚に一番近いのでしょう。(30mmは私にとってはちょっと離れすぎでした。)

ま、ズームであっても焦点距離を使いこなせばよいだけですが、単焦点のよいところは焦点距離を確認しなくてもよいというところですね。考える前に動けるかという所に通じてくるものがあると思います。訓練された人間が、すっと動けるがごとくに。。。考えるより前に動けていることが理想です。とにかく、撮ろうと思ってからシャッターを押すまでのプロセスをいかに短く直観的にこなすか、が一つのテーマになるかな。

そういう訳で、日頃持ち歩いて撮るレンズに関しては単焦点に分があるように思います。特に35mmF2Dに関しては、自分が顔を寄せるのと同じくらいの距離まで寄れるというのがさらに違和感なく使える理由に通じると思います。50mmF1.4DやSIGMAの30mmF1.4は最短撮影距離がちょっとあって、寄ったときに撮れなくて違和感を感じることがあります(した)。

人間の視覚感覚に近い使い方ができる35mmF2Dはなかなか深みのあるレンズだと感じています。

空色 -静かな夜の始まりを告げる-



仲間内の新年会に参加してきました。いつの間にか少しずつ年を取っていくんですよネェ。とはいえ、やはり中身は変わらない。中身はかわらず、中身を取り巻くガワの部分が変わっていくんだと思います。時にガワの部分に支配されてしまう人間もいるようですけど。

そういえば、最近毎日夕空がきれいです。で、最近は35mmF2Dをつけっぱなし状態です。もちろん便利なズームのレンズも持っていますが、はたしてズームは必要か?と思う事が多いです。
別に単焦点での写真修行が必要とかそんなカタいことをいうわけではないですが、焦点距離が変えられなくても色々な画は撮れます。画角が変わらないという制約の中で写したいものをどう写すかを試行錯誤しながら撮るのがいいのでしょう。ズームになるとその制約があまり感じられなくなります。
焦点距離が固定という制約があるがゆえに、アングルやら構図を一生懸命工夫してその中での自由度が大きくなる。逆に、ズームによって制約が少なくなると、焦点距離の連続可変によって構図を変えた気になって独創性が乏しくなる。自由でないが故に工夫をし、自由であるが故にそこに気づかない、というところでしょうか。また、ズームによっての画の変化ですら選別が大変なのに、アングルという要素が絡むともっとベストな選択に悩むようにもなります。
ま、旅行やらの記録写真を撮るのか、何か残る写真を撮るのか、で求める方向性が違ってくるのは当然ですけど。私にとっては、いかに印象どおりに撮るかというのが重要なようです。

ズームを単焦点の複合体と考えられれば、かつ、単焦点と同じような明るさや収差補正がなされていればまた別なのかもしれないですが、少なくともF2.0以下のズームはないですしね。

待つ


参拝客が来るのを待っています。


寺の彼方此方が静かに新年を迎えるのを待っています。


まだ人出は少ないです。


年に一度の特別な時を待ちます。

新年ですね。昨夜は除夜の鐘を撞きに行って来ました。

除夜の鐘には108の煩悩を払うという意味がありますが、人間というのは本当に煩悩が多い生き物だと思います。人間に欲望、感情が存在する限りなくなることはないのでしょう。
しかしながら、一人一人が周りに気を配っていけばそれなりに生きやすい世の中になるのではないでしょうか。

昨今変な大人が増えていますが、それはひとえに精神の薄弱なるが故ではないでしょうか。物質的には豊かになっていく時代を経て現在へと続いてきたわけですが、精神的な豊かさというものがおろそかにされて来たのではないかと思わされます。
そしてまた、それを原因として落ちつつある現在の日本があるのではないでしょうかね。今から将来を見た時に日本に対して持つ印象が"期待"とか"希望"という言葉がふさわしいようには思えません。
団塊の世代が"物質的に"豊かな時代を作ってきましたが、これからの世代が"精神的に"豊かな時代を作っていけるのでしょうか。
ま、これからを背負う世代を作ってきた団塊の世代の集大成が我々の世代前後でもあり、これからの時代なのではないでしょうか。

とはいえ、堕ちて行く中にも危機感が生まれ新たな時代が生まれてきたのもまた事実なのでしょうから、先行きを悲観するばかりでもいけないのかもしれません。が、やはり時代が変わるには時間がかかるもの。我々の世代はその狭間に沈んでいく世代となってしまうのかな。

将来というものに期待を持てるようなご時勢ではありませんが、明るい年であってほしいものです。

本年もよろしくお願いいたします。

不動明王



昼くらいからちょいと晴れたので久しぶりに塩原へ。レンズは35mmと50mmの2本。
焦点距離からみれば18-70mmのズーム一本で足りるところだけれども、やはり絞りの自由度というのは結構大きい。また、画がキリッとする印象もあるからだろう。
単焦点の不自由さ?は多少なら足で稼げばいいわけだ。否、足で稼がずしてどうして構図を決められようか。

そもそも、焦点距離を変える理由は何か。自分が立っている場所を規準としてフレーム内に主要被写体を納めるトリミング作業をするわけじゃない。近景~遠景にわたり、どういう範囲で何をどれくらい画に入れるかを決めるために焦点距離を選んでいる。
で、35mmと50mmの違いは何か、という点を見てみると、ぱっと見た画角と凝視した画角の違いというのが自分の中にはある。ぱっと見てキレイだと思えば35mmが自然な感覚だし、目の片隅に入った何かを撮りたければ50mmだ。15mmの間には感覚が切り替わる一線がある。

人間の感覚は何かを言っている。それを聞き取るのは自分次第だと思う。

Super Integrated Coating



昨日の続きみたいなものだけど、被写界深度もなかなか難しい。レンズの焦点距離は不変であって、感光面のサイズで画角が決まってしまうわけだ。被写界深度も感光面のサイズではなく、レンズの焦点距離と絞り値で変わる。だから135フォーマットで写真を撮りなれた人はAPS-Cになると、ボケと画角の関係が一致しなくて気持ち悪い、という人もあるのだろう。人間の感覚の優れた部分だな。
とはいっても、自分はAPS-Cしか知らないのでどちらがよいなどとは言えないし、違和感も当然ない。そもそも道具は道具でしかなく、それに文句を言うのではなく、使いこなす能力が人間に求められるところであろう。道具のせいにするのは自分が道具の構造機能を知らず、それに伴って出てくる機能や制約も理解できず、結果として選び方・使い方を知らないという事だ。一つのものに自分の要求を全て求める方がマチガットル。
うまく行かないと思ったら原因を調べてみればいいのだ。それが、自分の腕によるものか、物理的な限界かで対応が変わるだろうしね。そんなこともせずに、ワカランだのツカエンと喚くのはウマシカのする所作に過ぎぬ。少なくともそういうのにはなりたくない。みっともない。恥ずかしい。
最近はそういう事が恥ずかしいと思われず、文句たれるばかりの生物学的な?分類の大人が見られるが、人間としての大人ぢゃねーよな。

そういえばSIGMAの30mmは開放からシャープだったけれども、Nikkorの50mmや35mmは開放ではじわっとやわらかい描写になる。レンズは1.2段絞ると画質があがるってのはこれをさしていっていたんじゃないかね、と思うかな。ま、その甘い描写も使い様で好きだけどね。特に、ちょっと下にあるケーキの角部の甘さはSIGMAじゃでない気がする。

雑誌で評判のいい高いレンズを買うのもいいけれど、本当に必要なものをよく見て道具を選んだ方がいいのだろうね。そもそも道具というのは使っているうちにどこかに要求が出てくるのだし、まずは一つ使い込んでみればいいのだろう。
情報には色がついており、その色は例えるならドギツイ着色料カラーであったり、ピュアな色であったりするわけで、その色を見抜く目なくしては色と光を扱うレンズなんぞ扱えまい。

猫 - 見据える -



レンズの話になると、世間では35mm換算した焦点距離での話しが目に付く。が、レンズを考えてみれば焦点距離はあくまでもその焦点距離なのであって、35mmのフィルムサイズだろうがAPS-Cサイズであろうが変わらないものだ。論ずるべきは画角であって、35mmのフィルムで写真を撮り始めて35mmの感覚が染み付いている人間ならまだしも、デジタルで写真を撮り始めたのに35mm換算で話をするというというのもおかしい話しだし、そもそも”焦点距離とは何か”という、使っている道具の事をわかっていないということを晒しているようなものだ。

視点を変えれば、それだけ人間の頭というのが一度もった基準に引きずられやすいとか、メディアなどに引きずられやすいとか、そういう面がよく見えるとも言えよう。
ま、言っちゃなんだが、別にプロが紙面で何を語ろうが、そりゃあくまでも彼らの視点なのであって、素人がそれに引きずられる必要はない。

引きずられるってのは判断基準の土台を固める確立した個がないという裏返しであるのだろうし、情報ばかりを収集しても自分に必要な情報かどうかを判別できていないという能力面の不足もしくは欲望の制御不十分、という事でもあるのだろう。

ま、自分にあった焦点距離が見つかればいいって事で。
Tags: cat 35mmF2D 戯言

Home

写真Links
Archives

Page Top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。